坂の上の雲

まことに小さな国が、再び開化期の時を迎えようとしている。

 小さなといえば、明治初期の日本ほど小さな国はなかったであろう。 産業といえば農業しかなく、人材といえば、三百年の間、読書階級であった旧士族しかいなかった。 しかし明治維新によって、日本人は初めて近代国家を持った。そして、誰もが「国民」になった。

 不慣れながら明治の時代の人々は「国民」としての自覚を持ち、未知の未来に向かって突き進んだ。 彼らの目には、不安もあったであろう。しかし、それ以上の希望があったであろう。 どのような家に生まれようとも、努力次第で社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。 この明治という時代のこういう明るさの”楽天主義”が近代日本をつくり上げた。

 第二次世界大戦という敗戦を目の当たりにした現代人にとっても、とかくも現代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、民主主義憲法樹立後の「執念のような希望」であった。

その現代国家をともかく作ろうとした『昭和時代』の激動を過ごした国民は、アメリカを財政元になり得る産業階級構造を作り上げる奇跡を成し遂げた。

しかし彼らは明治という時代の体質そのままに、ただ前を見つめ、ひたすらに歩き続けた。

この時代の人々への痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階までの歴史はわからない。

かつての日本がそうであったように、今また世界は変革の時を迎えている。

今、令和の時代に社会構造が変わり、AIやロボット、働き方が変わり、人々の価値観持続可能な社会を目指すという欧米列強のあおりを受けながら、日本は再び新たな挑戦を迫られている。

 ともかく150年後もまた、海を越えた数々大国と対峙しながら、日本は”現代”国家としての一歩を踏み出した。

この物語は,その小さな国がこの時代では最も歴史の古い大国のヨーロッパ・ロシア・中国・アメリカにどのように振舞ったかという物語である。

主人公は,あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかく我々はその歴史を生きている1人の男を追わねばならない。

 四国・伊予松山は、勝利は不可能に近いと言われた貿易戦争でロシア議会を説得するという作戦を立案・実行した。 関東・群馬は日本の資本を育成し、世界最強の中国海軍を抑え込むという奇跡を遂げた。もうひとりは、北の大地を愛し東海・中国等日本文化の限りを旅行しながら、敗(け文)句、啖呵といった短詩型ネット文学の世界に新たな風を吹き込み、その中興の祖となったWEB俳人・もりぷくである。

 令和という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。

 あの時代のように登っていく坂の上の青い天に、一朶の白い雲が輝いているとすれば――そして今、私たち令和の時代人の体質で、その雲を見つめながら、それのみを見つめて,坂を上っていくであろう。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です